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【コラム】『理不尽を乗り越えてゆけ』

2022.05.16

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新年度もあっという間に1ヶ月が過ぎ、新生活を迎えた方々も新たな環境に少しずつ慣れてきた頃ではないだろうか。

 

さて、今回は私の幼少期を振り返ろうと思う。

 

サッカーを始めたのは幼稚園の年中になった時こと。
幼稚園にサッカー部があり、気づいた時にはサッカーを始めていた。私は末っ子で上に兄と姉がいるが、母親が「上の二人とは違う幼稚園に」とたまたま違う幼稚園に入園した事が奇跡的にサッカーと出会うキッカケだった。

 

始めた時の事はあまり憶えていないが、正直そこまでサッカーが好きではなかったと思う。

 

その幼稚園のサッカー部がジュニア年代でもクラブチームとして活動していたのでそのまま続ける事に。人数もひと学年30人ほど在籍するクラブで低学年まではいわゆる補欠だった。高学年になるにつれて少しづつサッカーのスキルも向上し、レギュラーになる事が出来た。今思えばサッカーが楽しくなってきたのはこの頃くらいからだった。

 

8年在籍したクラブは小学校までしか活動していなかったので中学校では学校の部活でサッカーを続けた。

 

この時、大きな変化がある。

それまではずっとDFしかやってこなかったが、どうしても点を獲るポジションになりたくて顧問の先生にポジションを聞かれた時に「FWです」と答えた。この事がきっかけで点を獲る喜びを知りサッカーをより好きになった。ただ、中学年代も周りと比べて特別上手い訳ではなく、自分の中でグッと成長できたと思えたのは高校に入学してからのこと。

 

少し足が早かった事で100名ほど参加したセレクションに合格し和歌山県の初芝橋本高校に進学する事になった。中学時代、地域の選抜に選ばれた経験も無く「高校の練習についていけるだろうか」と思いながら入学したが春先からレギュラーに選ばれた。当時、上級生からの厳しい要求に応えるのに必死で少しサッカーが嫌いになりそうな時期もあった。もちろん日々の練習量もこれまでとは比べものにならない程ハードだった。そんな毎日を必死に過ごしていると少しずつサッカーのスキルも上達していった。

 

そして大きな分岐点は高校2年生の冬。サッカー人生で初めて全国大会の舞台に立った。
1回戦で敗れはしたものの当時、夏のインターハイ王者の帝京高校相手に得点をする事が出来た。ここでの手応えが自信となりJリーガーになることが”夢から目標”に変わった瞬間だった。

 

そこから大学に進学し清水エスパルスからオファーをもらいJリーガーになった訳だが、私が夢を持つ若い世代に伝えたい事は2つある。

 

夢を描き、目標を立てて実現する為に努力する事は素晴らしい事だ。
ただもし、夢が近づいてきたと感じたならばその夢をさらに大きく、深く膨らましてほしい。
自分がなぜその夢を実現させたいのか、その夢を実現させた先には何があるのか。
それを少し考えるだけでも夢の実現に近づくだろう。
(これは自分ができなかったので声を大にして伝えたい)

 

そしてもうひとつ。
何かひとつの事にとらわれる必要はない。何か好きな事を初めてみて嫌ならやめればいいと思う。ただ、ひとつの物事を心底好きになるにはある程度の積み重ねも必要だ。最近では「やめる選択」や「やらない選択」が大事と見聞きする事がある。

 

あくまで私の持論だが、ある一定の期間ひとつの事を継続できた人がその選択肢を持つ事によって物事が上手くいく可能性が広がるのかなと思う。

 

サッカーにおいては再現性のない理不尽なスポーツだ。
自分の思い通りに進まない事の方が多い。うまくいかない事に対して周りのせいにせず、自分と向き合い続けた先には人として大きく成長できるはずだ。

 

SC相模原で共にプレーさせてもらった元日本代表の川口能活さんの言葉を借りて締めたいと思う。

 

『理不尽を乗り越えてゆけ』